古賀道場で空手を学ぶ理由、目的とは?
英語教室でなく、英語道場である意味は?
空手教室でなく、空手道場である意味は?
いったい違いはなんなのか?
空手が道場なのは、イメージしやすいが、英語が道場なのはなかなかイメージしにくいですよね。英語道場って英語教室と何が違うの?
そもそも「道場」ってなんだろ?
もともと「道場」とは、釈尊(しゃくそん)が菩提樹の下、悟りを開いた場所である金剛座を表す言葉であるとされていますが、現在では、芸道、武道の修練の場所としての意味合いがあります。日本武道協議会が定めた武道憲章の中では、「道場は、心身の鍛錬の場であり、規律と礼儀作法を守り、静寂、清潔、安全を旨とし、厳粛な環境の維持に努める。」と定義されております。道場とは、神聖な場所であり、その神聖で厳粛な場所に身を置いて己の精神身体の修養を行うことを目的とする場所であるようです。教室は、それそのものを教わるところである、に対して、道場は、己自身がそれそのものと向き合い、そこで鍛錬、修練を行い、自分自身の修養を果たす場所という捉え方ができます。
すなわち、道場とは、何かを教わる場所ではなく、自分自身を鍛え、育てていくことを目的とする場所となります。例えば、英語教室は、英語を教わることを目的としますが、それが、英語道場となった場合は、英語学習を手段として、己自身を鍛え、成長させていくことが目的となり、そもそもの目的が違ってきます。自分自身を鍛え、成長させていくことが目的となる為、そこには高い志が必要となります。自分自身が進むべき、進みたい「道」がなければ、自分自身を鍛える意味が曖昧となり、成長は望めません。道場において学ぶということは、そういうことを意味するのだと思います。
また、道場とは、場所でもあり、それに向き合う自分の心の在り方で自分自身も道場となり得ます。
英語学習、また空手修行を通じて己の心の修養を目的に行う中で、それに向き合う自身の心が神聖で厳粛なものであれば、それ即ちそれも道場となり得ると考えられます。道場とは場所でもあり、自分自身の心のありようでもあるのです。なのでどこにいても道場での学習、修行は続けれるのです。
古賀道場門弟の皆様方、また、保護者の皆様方には、空手道に向き合いう自分自身(お子様自身)が、英語学習に対する自分自身(お子様自身)が、道場で学ぶ目的を明確にし、その目的に向かって確実に前進しているのかを、今一度ご確認いただければと願います。
道場は、自分自身を鍛え育てていく場所であるので、自分自身の進むべき「道」を明確にし、それに向かって邁進し、達成、到達を目指すことが重要です。そして、道場は、自身の心の有り方次第で帰るべき場所となり、寄ん処ともなる大切な場所となるのです。